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    分岐

    • 2012.03.11 Sunday
    • 22:24
    1年が経った。

    去年の今日。
    私は、仕事を終えそのままの格好で、夫と別府へ向かっていた。
    子どもも独立し、ここ数年はこうやって、夫婦で出かけることが多くなった。
    車のラジオからは、けだるい国会中継が流れていた。
    車は高速道路をひたすら走り、運転のできない私は助手席で、少し眠くなってしまいそうな、その時。
    いきなり、ラジオが「津波警報」を発しだした。
    「え? 地震?」
    警報の津波の高さはどんどん高くなる。
    最初は、3メートルと放送していたのが、6メートル、10メートルと高くなる。
    車は別府湾パーキングに着いた。
    ドライバーたちが屋内の大きなテレビに釘付けになっている。
    そこには、津波に流される家屋や
    津波が平地をゆっくりと(画面からはそう見えた)這い上がっていく様子が映っている。
    津波というものはすごい高波がどどーんと押し寄せてくるものだと思っていた。
    よく漫画とか映画とかであるように。
    しかし、実際は違った。
    あんな青々とした大波ではなく、黒々とした濁流だった。
    こんな時に旅行なんてと思ったが、予定していたのでそのまま続行した。
    ホテルに着くなり、テレビをつける。
    それから、ちいさんと息子にメールした。
    東京はかなり揺れたようで、怖かったとのことだった。
    その夜。
    テレビはずっとつけっぱなし。
    気仙沼が燃えていた。
    使い古された「火の海」という言葉通りに。
    夜の火災が、音もなくテレビから流れている。
    その映像の間を縫うように緊急地震速報が入る。
    あの無機質な電子音が、不気味だった。
    被災地の人たちは、もっと恐怖に感じただろう。

    この時。私は、原発に思い至らなかった。
    翌日からちらほらと原発の報道が始まった。

    そして、1年が経った。
    ここでわざわざ書かなくても、原発が、被災が、その対応が、日本政府の状況が、
    みなさん、お解かりだと思う。

    あの時。
    3.11と9.11。
    なんだか、符号するものがあると思ったことを、今でも覚えている。
    世界は、あの9.11から変わってしまった。
    日本も、この3.11から変わってしまうんだろうか。
    これが分岐点で、
    のちのち「思えば、あの時から…」と回顧する日が来るのだろうか。
    その回顧が、後悔の回顧でないことを願うばかりだ。

    最後に。
    とっても非力な私は、世の中に対してなす術(すべ)を持たないけれど、
    ただ、
    真面目に生きよう。
    卑怯なことやこずるいことなどせずに、日々を真面目に生きよう。
    そう思っている。

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    表装

    • 2010.01.17 Sunday
    • 23:01
    あまりテンプレートを変えない私。

    今回。
    「ソラニツキ」の表記を
    「空に月」と漢字を併記したので、ついでにテンプレを変えてみた。

    「ソラニツキ」

    「そらにっき」と思われた方もいるんじゃないでしょうか。
    「空日記」ね。
    実は「空に月」

    「空にペーパームーン。銀のお月さま〜」

    松田聖子の曲の歌詞。
    (曲名は忘れた。。)
    「空に月」とつぶやくと、この歌が私の頭の中を駆け巡る。


    今日の話題は、実はこれじゃなく、
    「テンプレート」。

    横文字に弱いオバサンとしましては
    初めて「テンプレート」という言葉を耳にした時、
    もちろん、ハテナマーク。
    ちいさんが「ブログのデザインみたいなもの」と教えてくれた。

    今、あらためて調べたら
    テンプレートは「中がくり抜かれた定規」。
    たしかに。
    ブログのまわりにあって、その中に記事が書かれた状態だもんね。

    でも、
    私のイメージは「表装」。
    掛け軸とかの周りを布や紙できれいに仕立てた、あれ。
    今となっては、これでも正解な気がする。

    しかし。
    気に入ったテンプレートを探すのは大変。
    カテゴリーやアーカイブスが表示されてて、見やすいもの。
    デザインも極力シンプルなのがいい。
    今のこのテンプレート。
    猫好きなんで選んでみた。
    これでフォントがもう少し大きかったら言うことないんだけど。
    (フォントも最初は意味がわからず、ちんぷんかんぷんだった)


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    行止

    • 2009.04.11 Saturday
    • 22:41
    夫が風邪をひいた。
    そこで、病院へ。

    風邪自体はたいしたことなく
    (熱もないのに、大げさである)
    それでも
    「もうオレはだめだ」みたいな顔で帰ってきた。
    付き合いも長いと
    「ああ、そうなん」
    てなもんである。

    その夫が

    「S医院が、休院してた」
    「へえ」
    「去年の11月から都合によりしばらく休みますって書いてあった」


    S医院は、以前に住んでいたアパートの近くにあった。
    医院のそばの道路は、市街地から最寄の駅へと続く幹線バス道路で、
    あたりは田園地帯。
    ある時。
    アパートと医院のあいだを横切るようにバイパス道路ができた。
    もう20年以上も前になる。
    バイパスが出来たということは、
    そこには大きな交差点も出現した。
    田舎の町に大きな2車線のバイパス。

    それからしばらくして、
    今度は
    元からあったバス道路と平行して別のバイパスが開通。
    こちらも、先にできたパイパスと交差することになる。
    つまり、
    カタカナの「キ」の字のような構図になってしまった。

    当然、交通事故も増えた。
    そこで、

    元からあったバス道路が、遮断されることに。
    「キ」の字のたて線部分のバイパスに、
    入ったり、出たりはできるが、
    「キ」の字の横線にあたるバス道路は、バイパスに中央分離帯が作られ、通り抜けできなくなったのだ。
    もちろん、バスの路線も変わってしまった。

    元からあったバス道路が、
    2本の新しいバイパスが交差したために、通り抜けできなくなる。
    昔からあり、人が歩いて、ならして、出来上がった道だ。
    道祖神(どうそしん)も立っているし、神社もある。
    もちろん、それらを移動したわけでないけれど、
    通り抜けられた道が、バイパス越しに見えているのに、通り抜けられない。
    この閉塞な感じがどうにも、不自然で何か不吉なものにさえ、見えてくる。
    S医院の休院も、先の道が行止り(バイパスへ通じてはいるが)では、なんとなく納得してしまう。

    この地は、
    その昔、景行天皇が「土ぐも退治」をした際に、
    あたりの田畑が血に染まったという言い伝えがあり、
    (地名もそこから由来している)
    近くのN城の鬼門封じとして建てられた八幡宮が、バイパスのそばにはある。
    昼間でも、うっそうとした薄暗い神社である。
    さらに、後からできたバイパス沿いには、
    N城があった時代の「処刑場」があったとも、聞いたことがある。
    いわゆる「斬首場」。

    そんな一帯に、通り抜けられない道、である。
    なんだか、よくないよなあ。
    霊感だとか、第六感だとか、まったくない私でも、
    そう思うのである。



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    系図

    • 2008.12.06 Saturday
    • 22:57
    もうかれこれ10年くらい前のこと。
    まったく見ず知らずの人から電話がかかってきた。
    知らない番号の電話は取らないのだが、
    その時は何気に取ってしまった。
    局番はY区。

    「もしもし」
    「あのう、私、Y区のAと申すものですが…」

    し、しまった!
    Y区には、私の親戚が住んでいて、選挙前になると、
    いや、選挙前にだけ電話がかかってくるのだ。

    そう思った私。
    つい冷たい口調で

    「はい…」
    「突然のお電話ですみません」
    「…はあ」

    私のテンションは上がらない。

    ところが…。

    これがすごい電話だったのだ。
    (もちろん、選挙は無関係。そして途中から私のテンションは上がりっぱなし)

    その人は、15年近くにおよび私たち家族をずっと探していた人だった。
    まったく見ず知らずなのに。

    その人(仮にAさんとしよう)は夢を見た。
    山の中腹のお墓。
    丸いお墓。
    時代劇に出てきそうな人名。

    何度となく見るので、
    そこで、隣のS県の知人に見てもらったそうだ。

    以来、
    何度も夢を見、
    そのことを知人に相談し…。
    そうやって10年以上かけて、我が家にたどり着いたそうなのだ。


    まるで雲を掴むような話で、
    にわかには信じられなかった。
    しかし、彼女が話す内容は、夫の故郷に類似している。
    そこで、こっちでも調べて、折り返し連絡することに。

    夫の実家はお寺。
    といっても、山寺で、今は跡形もない。
    古い経本や書きものはいくらかは残っていた。
    そこで、天袋の中から出して見てみた。

    丸いお墓。
    それは僧籍にあったもののお墓。
    彼女の言った名前も江戸末期くらいの書きものの中にあった。
    明治初めくらいの先祖の戒名に、彼女の言った「漢字」を使っているものがあった。

    ことごとく、当たっていた。
    びっくりした。

    そこで、その書きものをコピーして、
    夫がY区まで、Aさんを訪ねていった。
    AさんはY区でレストランを経営されていた。
    お礼に、夫はフランス料理のフルコースをご馳走になった。

    Aさんが、何ゆえ、そこまで自分の夢にこだわったのか。

    何かある。
    何度も夢を見るから、何かある。
    そこを突き止めなければ、自分は先へ進めない。

    たしか、そんな理由だったと思う。
    なんせ、もう10年前だ。
    その頃の日記を探し出せば、くわしく書いてあるとは思うが…。

    ともかくも、
    まったく見知らぬ人が、私たち家族をずっとまるで見守るかのように探していたこと。
    私にとっても不思議な経験で、
    むしろ
    彼女のお陰で、私たち家族が平穏に暮らせているようにさえ感じたのだった。

    そうして、
    今日、なぜ、Aさんのことを思い出したかというと…。

    来週、早々、Y区へ行く用事があり、場所をネットで検索していたのだが、
    「そういえば、Aさんっていたよね?」
    と思い、ついでにネットで検索。
    レストラン名もうろ覚えだった。

    やっと思い出した店名は「田舎の日曜日」。
    なんと、今月湯布院へ移転するという。

    これまた、なんという偶然。
    移転する時に思い出すなんて。

    人の縁というか、つながりって、
    どこでどうなるのかわからない。
    ほんと、つくづく思う。

    真面目に生きよう。

    そう思うちいままであった。



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    郷土

    • 2008.12.01 Monday
    • 21:03
    さっき、テレビのローカルニュースを見ていたら…。

    私の卒業した高校のある地域。
    そこら一帯は「炭鉱の町」でもあるのだが、
    どこの高校にも「郷土部」があったというのだ。
    うちの高校だけじゃなかったんだ。

    知らんかった。
    なんで、考古学部じゃなくて、郷土部なんだろう?
    と、思っていたが、
    石炭を採掘する際に、いろんな遺物がでる。
    それを地元の郷土部が発掘するなどの活動をしていたそうで、
    だから「考古学部」よりは、地元に密着した「郷土部」になったようだ。

    そんな「郷土部」も今では地域で1校だけになったそうだ。
    うちの学校の「郷土部」も、もうないのか…。

    うちの学校の郷土部の話は以前に書いたが、

    思い出したことがある。

    それは高1の夏休み。
    私はすでに「漫画同好会」に入っていた。
    でも、歴史や遺跡は当時から好きだった。

    家の裏手の田んぼで遺跡発掘をしている!

    という話を耳にして、
    出かけてみた。

    田んぼといっても、かなりの広さ。
    辺り一帯は開発されようとしていた。

    夕方だった。
    発掘現場には、いたるところに人が。
    当時は、ふらっと入り込んでも何も言われなかった。
    犬の散歩のおばちゃんとか、通りかかりのおじさんとか。
    (今もそうなのか、違うのか、わかりませんが)

    掘った穴のまわりを歩き回り、
    その穴をのぞき、

    わくわく。
    わくわく。

    そして、

    はっと気づいた。

    見たことある!
    見たことある人たち!!

    発掘している人たちの中に
    見覚えのある顔、顔、顔。

    うちの高校の郷土部の面々が、そこで手伝っていた。

    もちろん、
    顔は知ってるけど、話したこともない同級生たち。
    まさか、隣の市である私の家の近所にやってきているとは!

    その時の私の格好。
    どうでもいいような簡単服にゴム下駄。
    ゴム下駄。
    鼻緒がゴムでできた木製の下駄。
    それも、歯のちびた、履き古した下駄。
    なによりほんとにご近所を歩く下駄なのだ。

    急に恥ずかしくなった。

    暮れかかる景色に紛れて、急いでその場を去ったのだった。

    その後。
    遺跡発掘した田んぼには、
    新幹線が通った。
    昨日で最後の0系である。
    あたりは新興住宅地になり、高台にあったうちの家の畑の向こうに、走る新幹線。
    テレビの映りがわるくなった。


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    漢語

    • 2008.09.12 Friday
    • 21:55
    続き

    中国の正式名称「中華人民共和国」の3分の2が日本製
    と、言ったら驚くだろう。

    実は、

    「人民」も「共和国」も明治の日本人が考えだした和製漢語である。


    英語圏の人々がまったく言語のわからない国へ行ったとしよう。
    現地の人の言葉を聞いて、
    英語圏の人は、現地の人が何を話しているかおおよそわかるという。
    それは何故か?

    言葉の中に「デモクラシー」とか「エコノミー」とか「リバティ」とか、
    英単語が混じっているからである。

    日本語はどうだろう。

    「デモクラシー」は「民主主義」
    「エコノミー」は「経済」
    「リバティ」は「自由」

    全てが日本語で言い換えられている。
    だから、英語圏の人が日本語を耳にしても、
    何を話しているのか、まったくわからない。

    さらに、教育を母国語で受けられることも驚異なんだそうだ。
    それは日本語に「科学や哲学などの概念を表す単語」があるから。
    明治時代に西洋の学問を翻訳する際に生まれた単語(新漢語)のお陰である。

    「科学」 「技術」 「哲学」 「権利」 「宗教」 「進化」 「義務」
    「国会」 「憲法」 「司法」 「立法」 「行政」 「革命」 「社会」
    「金融」 「投資」 「抽象」 「具象」 「真理」 「文化」 ……

    もうすごいよね。
    これらの西洋の概念を翻訳した単語がなければ、
    ほんと「高等教育」は英語じゃないとできないよね。

    そんな明治生まれの漢語。
    それを当時日本に留学していた中国人学生などが母国へ持ち帰った。
    それが定着して、中国でも使われるようになった。
    現代中国の語彙の多くは日本から導入されたもので、
    社会科学に関する語彙の70%くらいは日本から来たもの。

    中国でも英語の概念の置き換えをやったことがあるそうだ。
    例えば
    「社会学」を「郡学」
    「経済学」を「資生学」「計学」

    しかし。
    うまくはいかなかった。

    (以上は加藤徹氏の「日中漢字二千年のつきあい」より抜粋)


    だから「中華人民共和国」の3分の2は日本語でできているというわけ。
    「文化大革命」も日本語ってこと…よね。

    その昔。
    日本は、かの大国の中国をお手本とし、文化を受け入れてきた。
    今はその「恩返し」をしたことになる…のかな。

    でも、きっと、
    現代の中国人はこの事実を知らないよね。
    知ってほしいよね。
    ちょっとだけでも知ってほしいよね。
    ふたつの国の距離がちょっとだけ縮まるよね。


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    五輪

    • 2008.08.27 Wednesday
    • 22:01
    偶然だろうけど、
    オリンピック閉幕とともに、夏も去った感あり。
    (でも、まあまだ残暑は続くだろうけど)

    成功させるためとはいえ、
    やってはいけないことがある。

    ドーピング?

    当然。

    ジャッジミス。

    もちろん。


    足跡のCGや口パク。
    仕方ないとは思わないけど、あり得る話。
    でも、
    民族衣装に、違う民族。

    あり得ない。

    そこがオリンピックなのに、
    そこでウソをつくとは!
    何のための五輪?
    何のための5色のマーク?


    開会式。
    超長い自国の歴史のお披露目。
    私たちは隣国であるし、同じ東洋人であるから、
    わかっている内容なんだけど、欧米人には新鮮に映ったかもしれない。
    長い長い4000年の歴史。
    たしかにすごい。
    でも、

    いつだったかマーメイドさんがこんなことを言ってたな。

    この国の歴史は確かに、長い。
    でも、それは切れ切れに繋がっているだけ。
    日本は違う。
    支配者が変わることがあっても、天皇制はずっと続いている。

    つまり、
    日本の天皇制という伝統は途切れることなく
    (途中、危機もあったけど)
    国の始まりから続いている。
    でも中国は4000年の歴史とはいっても、
    ある王朝が滅びて、まったく違う1族が政権を握り…。
    その繰り返し。
    一見続いてるように見えて、実は違う。

    なるほど。
    その話を聞いた時にすごく納得。

    私もマーメイドさんも国粋主義とか右翼とか、そういう考えの持ち主ではないけど、
    「日本人」として持っている気持ちは同じ。
    日本はそういう国なのだ。

    開会式を見て、この話を思い出していた。
    そして、
    これだけの長い歴史を見せびらかし、悠久の時間の流れを自慢するのであれば、
    たかだか15年ほどの日本の支配した期間を、
    どうしてこれほど強調して、いつまでも責め続けるのだろうとも思った。

    誤解のないように言っておくが
    侵略戦争は悪い。
    日本が悪い。
    それを踏まえて、あえて言う。

    お国の歴史に比べたら、わずか10数年のこと。
    それをこうも言われ続けなければならないのだろうか。
    長い歴史を持つ広大な領土を持つ大人(たいじん)が
    いつまでも、東の小さな国をこうも責め続ける。

    そんなことを思いながら見た開会式だった。

    ちなみにご存知の方も多いと思うが、
    「中国」という国名の由来。

    中国。
    まんなかの国。
    中心の国。

    その昔。
    東は東夷(とうい)。
    西は西戎(せいじゅう)。
    北は北狄(ほくてき)。
    南は南蛮(なんばん)。

    まわりの国は自分たちより劣っていた。
    と考えていた。

    今だって、そうなんだろう。
    なんたって
    中国の国名はそのまま「中華思想」そのものだから。
    続く

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    揺籃

    • 2008.08.13 Wednesday
    • 22:35
    朝、テレビでハンモックの話をしていた。
    手作りハンモックやハンディーな吊り下げ型のハンモック。
    赤ちゃんのゆりかごになるハンモックを見て、思い出した。

    子どものころ、ハンモック式のゆりかごが家にあった。
    何であんなものがあったのかは、不明。
    貧乏だったのに、そんなの、わざわざ買うはずもなし、
    もらいもの?
    母に聞いておけばよかった。

    淡いブルーで、網(あみ)というよりは蚊帳のような素材ハンモック。
    赤ちゃんを乗せるところは円形。
    それに両側から吊り下げるために蚊帳状の布がついている。

    子ども心に、このゆりかごハンモックを見ると、いやな気分になった。

    何故だろう。

    不快な感覚が抜けない。
    思い切って、母に聞いてみた。

    「これって、私が小さい頃、使ってたと?」
    「そうよ」
    「なんか、これ見ると、いやな気分になる」
    「そういえば、これに乗せて寝かしつけてると、逆に、よく泣いてたねぇ」

    それで、わかった。
    このゆりかごハンモックを見た時の不快感。

    酔っていたのだ。
    揺れるゆりかごハンモック。

    いわゆる車酔いみたいな。
    小学校の頃は、バス遠足のたびに酔っていた。

    この不快感は、バス酔いのあの気分と同じだ!

    小学生の私は、それに気づいた。

    ゆりかごに乗った記憶はないのに、
    不快感だけはしっかりと残っている。
    面白いというか、不思議。


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    空襲

    • 2008.08.08 Friday
    • 21:01
    明日は長崎に原爆が投下された日。
    この原爆。
    本来なら、私の住んでいる市に落とされるはずだった。

    当日。
    市の中央部の空は曇っていて、
    爆撃目標の兵器工場が見つけられずに、
    爆撃機は第2目標の長崎へ。
    小さい頃からそう聞かされていた。

    ところが。
    爆撃を免れた理由がどうやら違うらしいのだ。

    その前日。
    昭和20年の今日、8月8日。
    隣りの市が大空襲にあった。

    当時、この市は
    5つに分かれていた。
    いや、
    別々の市だった5市が合併して今の市になったといった方がわかりやすいか。
    (その後人口が増え、今は5区が7区になっている)

    原爆が落ちるはずだったのがK市(現在のK北区)
    空襲になった隣りの市。
    Y市(今はY東区)。
    私の出身地。
    当時、祖母がたまたまY市の中心地へ出かけ、
    「それはすごかった」
    と母(当時は小学生)に話したそうだ。
    祖母の外出が1日早ければ、空襲にあったかもしれない。

    すさまじい空襲で、Y市は焼け、
    燃えさかった煙は翌日も残り、
    その煙が「煙霧」としてK市の上空へ流れ込んでいた。
    それで、目標の兵器工場が確認できなかったのだ。

    原爆投下が回避されたのは
    自然の天候ではなく、
    空爆という人為的なものの影響だった。

    当時アメリカでは原爆投下はトップシークレット。
    だから、通常の任務に就いているアメリカ軍には知らされず、
    前日の空爆となったのだった。

    もし、あの日。
    長崎でなく、K市に落とされていたら…。
    K市出身の夫。
    お義母さんももちろん、K市出身。

    そう考えると、
    世の中の無常。
    運命のいたずら。
    偶然の重なり(シンクロニシティ)。
    なんと言ってもいいが、
    何か計り知れないものを感じてしまうのだ。

    そして、
    長崎で被爆された方々含め、
    無念のままなくなられた人々。
    彼らに対する追悼の念を、忘れてはいけないと思うのだ。
    せめて、この時期だけでも、忘れまいと思うのだ。


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    白詰

    • 2008.06.06 Friday
    • 22:01
    今日のニュースで
    どこかの地方のタクシー運転手さんが
    お客さんに「四つ葉のクローバー」をプレゼントしているとあった。
    仕事の合間にクローバーを探し、押し花にしてお客さんに渡す。
    探すうちに「見つけやすい場所」もわかってきたそうだ。

    普通は三つ葉のクローバー。
    たまにある四つ葉は「幸運をもたらすシンボル」。
    あれって、突然変異なのかなあ。

    高校時代。
    視聴覚教室の横の雑草の中にたくさん四つ葉のクローバーがあるのを発見。
    高2の時だった。
    その時に仲のよかった友人と狂喜乱舞。
    ってのは大げさではなく、
    高校生だもの。
    そんなのがとってもうれしいことだった。


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